都心には、その歴史的背景や都市開発の波、地域性など、さまざまな条件で独特な雰囲気を持つ神社があります。
今回はそんな神社の一つ、柳森神社(やなぎもりじんじゃ)をご紹介します。
目次
- 柳森神社はどんな神社?
- コンパクトな空間の中に、8社が鎮座。
- 柳森神社の「抱き稲」の紋とお狐さま、昭和5年から現存の社殿。
- つい長居してのんびりしてしまう不思議な境内。
- 福寿神「おたぬき様」のたぬき様たち。
- 福寿神(おたぬきさん)の御由来
- 金比羅神社
- 水神厳島大明神・江島大明神
- 秋葉大神と明徳稲荷神社
- 力石が沢山ありました。
- 富士宮浅間神社
- 柳森神社へのアクセス。
- 撮影に使ったカメラは、SONY RX100Ⅲ
柳森神社はどんな神社?
柳森神社は、JR秋葉原駅より徒歩で約3分、都営新宿線の岩本町から約3分の、神田川沿いに鎮座する稲荷社です。
長禄2年(1458年)に太田道灌が江戸城築城の際、城郭の鬼門除けとして京都の伏見稲荷を勧請し創建されました。同時に多くの柳の木を植えたそうで、現在も神社の前の道には「柳原通り」の名称が残っています。
また、江戸庶民からの崇敬も篤く「商売繁昌の神」として信仰を集め、賑わいを見せていたようです。
太田道灌が定めた「江戸三森椙森」を構成する一社で、ほかには、椙森神社(すぎのもりじんじゃ)、烏森神社(からすもりじんじゃ)があります。
柳原通りを歩いていくと見えてきます。
神田川沿いではありますが、川沿いからの道はありません。
秋葉原の喧騒からは離れておらず、あまり目立つ感じではないので、迷う方もいるようです。
コンパクトな空間の中に、8社が鎮座。
「下り宮」です。
成り行きで自然にこうなったという感じで、深い意味はないのかと思います。
鳥居をくぐると下る階段があります。本殿が鳥居より下にあることを「下り宮」といいます。
階段を降りてすぐ右側には手水社があり、紋の入った石の水盤があります。
そしてこの奥の空間の中に、8社(柳森神社と境内社の7社)が鎮座しておられます。
このうち、福寿神が「おたぬき様」と呼ばれている社になります。
柳森神社の「抱き稲」の紋とお狐さま、昭和5年から現存の社殿。
大正12年(1923年)の関東大震災で被災し、社殿などを焼失。
その後、昭和5年(1930年)社殿は再建され、改修されつつ今に至ります。
お賽銭箱には、稲荷社の「抱き稲」の紋があります。天水桶の方はまた違った紋が入っています。
先ほどの水盤の写真にも、同じように「抱き稲」の紋が掘られていました。
神使のお狐さま。
阿形のお狐様は子持ちで優しく抱いているお姿。
そして、前掛けをして玉をお持ちの吽形。
どちらもシンプルな造形ではありますが、眼光がクールで迫力があります。
つい長居してのんびりしてしまう不思議な境内。
要素多めで賑やかな境内ですが、落ち着く雰囲気でつい長居してしまいます。
はじめにこちらに参拝で訪れたときに、違和感というか、混乱したところ。
稲荷社なのに、存在感の強すぎるたぬき様たち。
鳥居の位置関係や参道が交差していたり。
さらにお猫さま(住み着いてる猫)もいらっしゃるとか。
今回、お猫さまは不在でしたが、龍神さまもいらっしゃるので、かなりの複雑っぷりで頭を整理するのに時間がかかりました。
福寿神「おたぬき様」のたぬき様たち。
鳥居の隣には妊娠してお腹の大きい、たぬき尊像が置かれています。
扁額には「福寿神」とあり、福寿神の鳥居であることがわかります。
「おたぬき様」と称され信仰を集めている福寿神。
隣の福寿たぬき尊像が個性的なので、こちらの立像が普通に見えてしまいます。
お社にも神使として、おたぬき様が置かれています。
写真には入っていないところにも、おたぬき様が置かれていました。
明治2年(1869年)に柳森神社に合祀されました。
福寿神(おたぬきさん)の御由来
お社の隣にある、案内書から引用します。
<境内案内の張り紙より抜粋引用>
おたぬきさん 福寿神御由来
五代将軍綱吉公の御代、将軍のご生母桂昌院様によって江戸城内に福寿いなりと称して創建された。
桂昌院様は、京都堀川の生まれ、八百屋の娘が春日局に見込まれて、三代将軍家光公の側室となり、五代将軍綱吉公のご生母となる。
大奥の御女中衆は、他を抜いて(たぬき)玉の輿に乗った院の幸運にあやかりとこぞってお狸さまを崇拝したという。
<引用おわり>
金比羅神社
鳥居の扁額には「金比羅宮」とありました。
水神厳島大明神・江島大明神
水神厳島大明神・江島大明神
神使としてなのか、龍の置物が置かれています。
こちらは口の形を見るかぎりでは、阿吽の組み合わせではないようです。
そして両龍ともにお社の方向を向いているので、俗にいう「狛」とも違うのかもしれませんが、僕はそこまで詳しくないのでわかりません。
秋葉大神と明徳稲荷神社
江戸時代は木造建築が多く、そのため火事が多かったようです。当時は、「火防の神」として秋葉信仰が流行したそうです。
力石が沢山ありました。
境内の一画には、力石が沢山置かれているところがあります。
富士宮浅間神社
富士宮浅間神社は延宝8年(1680年)に柳森神社に合祀されました。
以前は富士塚もあったそうです。
こちらはその富士塚の石を積み上げて小山にしたもので、そこに石碑群を設置したそうです。
富士講関係石碑群といわれ、千代田区指定有形民俗文化財になっています。
写真右下側の岩に囲まれているところにお社(?)があり、こちらに祀られています。
柳森神社へのアクセス。
柳森神社(やなぎもりじんじゃ)
備考:御朱印は、社務所横にある箱の中にある印を自分で押すセルフ式になります。
撮影に使ったカメラは、SONY RX100Ⅲ
今回は、ソニーサービスステーション秋葉原にα7RⅢのセンサークリーニングに行った時の待ち時間に散歩してきました。
RX100IIIはレンズを収納すればとてもコンパクトになるので、いつでもカバンの中に入れています。
ズーム域もフルサイズ換算、24-70mmなので大変便利です。
新型に買い替えたい気持ちもありますが、とくに不満もないので使い続けています。
*CaptureOne21でRAW現像。
*カットによっては一部トリミング調整をしています。
*現像時に露出やハイダイナミックレンジ等の調整をしています。
RX100M3は、だいぶ値段も下がってきました。
今なら、こちらの方がいいかも。
どちらにせよ、カバンにいつも入れておけば、すぐ撮れますね。