戦艦三笠は日露戦争で重要な役割を果たした軍艦。戦後に復元され、横須賀市の三笠公園に記念艦として保存されています。現在は博物館として公開され、日本の海軍史を伝える象徴的な存在となっています。
猿島のあと、午後は三笠公園内にある記念艦「三笠」を見学してきました。
引き続き、カメラはNikon D810A、レンズはAi AF-S Zoom-Nikkor 17-35mm f/2.8D IF-ED の組み合わせで撮影しています。
この記事内の写真は、RAWデータより多少のトリミング、明るさなどを調整し、書き出ししたものを載せています。
<目次>
- 記念艦「三笠」について。
- 三笠の主砲。
- Z旗を揚げ戦った、日本海海戦。
- 大砲だけじゃない。「砲」がたくさんある戦艦 三笠。
- 模型や実物もある充実な艦内展示(VRもある!)。
- 艦内神社「三笠神社」。
- 露天艦橋に立って指揮をした東郷平八郎。
- 測距儀(RangeFinder)がありました。
- やっぱり大きい三笠。
- 記念艦としてあり続ける三笠。
- やっぱり軍艦カレーを食べた。
- お土産には、よこすか海軍カレー。
- 記念艦「三笠」へのアクセス。
記念艦「三笠」について。
明治35年(1902年)、日本海軍がイギリスのヴィッカース社に注文して造られた戦艦。
船名である三笠(みかさ)は、奈良県にある三笠山(春日山)にちなんで命名されました。
現在の三笠は、完全に陸地に固定されています。
大正12年(1923年)、停泊中に関東大震災に遭い岸壁に衝突。応急修理中の箇所より船内に浸水し、着底してしまいました。
もともと、ワシントン軍縮条約によって廃艦が決定していたため除籍。
その後、下甲板にコンクリートを注入され、舳先を皇居に向けた状態で周囲に大量の砂を投入し、現在の位置に固定されています。
三笠の主砲。
40口径30cm(30.5cm)の連装砲塔。
厚さ35cmの防御鉄板に囲まれています。
現在の主砲、副砲などはレプリカです。
主砲の砲身を支えるための根本付近にある板は実際の三笠にはありませんでした。
本来、砲身は上下させることができるので、可動部に合わせて縦長の穴から出ています。
プラモデルで確認してみるのもいいかもしれません。
ハセガワのプラモは、戦艦のほか航空機、戦車など、子供の頃によく作りました。
また作りたくなってきました。
Z旗を揚げ戦った、日本海海戦。
「皇国の興廃この一戦にあり各員一層、奮励努力せよ」
東郷司令長官の号令は全軍に伝えられました。
そのとき揚げたのがZ旗。
日本海海戦、日露戦争中における大規模な艦隊戦を三笠はこのZ旗を揚げて戦い、圧倒的な勝利を収めました。
Z旗は、船舶用の国際信号旗のひとつで、アルファベットの「Z」を表します。
国際的な単独での意味は「引船が欲しい」というもので、他に意味はないそうです。
この日本海海戦での勝利以降、日本海軍での海戦ではこのZ旗を揚げ、士気を高揚させることが慣例化されたそうです。
日本独自の特別な意味を持つようになったZ旗。東郷平八郎が率い勝利した日本海海戦の勝利は、大きな意味を持っていたんですね。
大砲だけじゃない。「砲」がたくさんある戦艦 三笠。
舷門から艦内デッキに入ると、たくさんの大砲が目につきます。
左右海側には8cm(7.62cm)補助砲が並び、合計で20門が配備されていました。
隊員たちは、徹底的に射撃訓練をして戦闘に備えていたそうです。
船中央にはビデオ室があり、資料映像が流されていました。
模型や実物もある充実な艦内展示(VRもある!)。
すみません、VRの写真はないです...。
席に座りVRゴーグルを装着すると、艦橋で指揮する東郷平八郎と一緒に日本海海戦の迫力あるCG映像が体験できるようになっています。
子供に人気でしたが、やってみると大人も楽しめます。
その他にいくつかのシュミレーターもありました。
VRのような新しいものもありますが、カメラを持っていると写真映えしそうな被写体を探してしまいますね。
展示の全部を見て、詳しい解説を読むと1日では済まない量があったので、シャッターを切りながら流し見してしまいます。
歴史、軍事マニアには、たまらない空間かも。
艦内神社「三笠神社」。
神棚の隣に説明書きがありました。
<説明書きより>
日本の軍艦には伊勢の大麻を受けて天照大神を艦内の神社に奉斎し、艦名を冠して、その艦の武運を念じ、また乗員の修行の糧とする風習がありました。
三笠神社は、幸運や勝利が長く続くことを祈願して、設けられました。
艦内神社(かんないじんじゃ)。
軍艦や艦艇などの船内に設けられる神社のことです。船という環境のため、神棚くらいのサイズのように小規模な神社になってしまいます。
船主や船長など、関係者の信仰心によって祀られているそうです。
ちなみに、神職はいません。
船霊(ふなだま)信仰。
漁師など船乗りたちによる航海の安全や、大漁祈願などの願いから信仰されるようになった民間信仰です。一般的な御神体は男女一対の人形で、各地でみられます。奈良時代にはこうした信仰が存在していたそうです。
艦内神社の成立が日清戦争から日露戦争前にかけてと言われているそうで、それ以前からも船の神様に対する信仰があり、このように神さまが艦内神社として祀られるようになったのは自然な流れだと思われます。
(艦内神社と船霊信仰は別物という考えた方もあります。)
露天艦橋に立って指揮をした東郷平八郎。
東郷平八郎は屋根のない露天艦橋に立って、戦闘中も指揮をしていたそうです。
全体を見渡し、戦況を把握。素早く艦隊に指示をだすために露天艦橋にいたと思われますが、最前線の先頭を進む三笠は敵の集中砲火を受けやすく、とても危険なはず。
自分がもし死んでも大丈夫なように、装甲の厚い司令塔に幕僚を移動させ、万が一の場合にも備えていたそうです。
測距儀(RangeFinder)がありました。
測距儀(そっきょぎ)のことをレンジファインダー(RangeFinder)と言います。
測距儀は左右に取り付けられたレンズから対象物を見たとき、映し出す像が合致する位置(角度と長さ)から、対象までの距離を算出するもの。
つまり、三角測量を光学的な機器によっておこないます。
この二つのレンズの間の距離を「基線長」といい、理論上は離れているほど精度が高くなります。
三笠に取り付けられていたものは、イギリスのバー&ストラウド製のもの。
基線長は1.5mとなり、カメラのレンジファインダー機などとは比べものにならないほど大きいです。
ちなみに第二次世界大戦の戦艦大和では、日本光学(現在のニコン)製の基線長15.5mほどのものが装備されていたそうです。
三笠の約10倍。長い、というよりデカイです。もはや1人ではどうにもならないレベルですね。
やっぱり大きい三笠。
公園の奥に向かって歩道が続いています。
大きさについて調べてみたのですが、資料によって違っていました。
ということで、長さ約130m、幅 約23m ぐらいです。
ズームレンズの広角側17mmで誇張されていますが、実際にかなり長いです。
後ろから船首あたりまで歩きましたが、日差しが強かったので辛くなりました。
記念艦としてあり続ける三笠。
錨とその引き揚げに使うアンカークレーンはオリジナルのものだそうです。
戦後の混乱期であったとはいえ、一時はダンスホールや水族館まで設置され、その後は荒廃した三笠でしたが、三笠保存会の方々、東郷平八郎を尊敬していたアメリカ海軍のニミッツ元帥などたくさんの人たちの尽力により、昭和36年に三笠は記念艦として復活しました。
やっぱり軍艦カレーを食べた。
猿島から三笠を見学して、それからのお昼だったので、ちょっと遅めのランチです。
ミカサカフェで軍艦カレーを食べました。
「よこすか海軍カレー」にはルールがあるそうで、サラダと牛乳がセットでなければ「よこすか海軍カレー」とは言えないのだそうです。
ということで、写真では上のカレーが「よこすか海軍カレー」になります。
下は海上自衛隊認定の「掃海艇はつしまカレー」でポークカレーです。
海軍カレーとはいえ、一般的な日本のカレーライスですから、とても美味しかったです。
「ミカサカフェ」は、三笠公園から少し離れたところにあります。
横須賀海軍カレー MIKASACAFEミカサカフェ 軍港巡り
お土産には、よこすか海軍カレー。
記念艦「三笠」のそばにある売店で、自分たちへのお土産に海軍カレーを購入。
左(赤い模様)、さいか屋謹製のよこすか海軍カレー。1箱に2食入り。小さいながらもマッシュルームがコロコロ入っていてよかったです。牛肉も少しだけどちゃんと入ってます。ちょっとスパイシーな感じ。それなりに美味しかったです。
右(青にゴールド字)、三笠保存会オリジナルのカレー。1箱に1食入り。
どちらも食べてみました。
「あー。おいしかった!」です。
いや、本当に美味しいのですが、食リポが下手なので勘弁してください。
両方とも、通販で売ってました。
2食入り。
こちらは6食入り。
他にも海軍カレーがあるので、食べ比べてもいいかも。カレーパーティなどにいかがでしょうか。
記念艦「三笠」へのアクセス。
写真映えもします。
天気の良い日がおすすめ。